千國写真館・別館
新発田城

新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝 (みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです。(新発田市HPから

三階櫓

東屋

表門

堀部安兵衛像

隣は自衛隊さん

三階櫓

表門

辰巳櫓

三階櫓(三匹の鯱)

堀部安兵衛(中山安兵衛)
安兵衛の本姓は中山氏。越後新発田に生る。新発田藩士・中山弥次右衛門の長男。安兵衛が13歳の時、父が管理責任者で辰巳櫓の焼失の責任を問われ、禄を没収された。父の死後十九才の時、剣術修業の為江戸に出て道場師範となる。叔父が高田馬場で決闘したのを助太刀して名をあげ、望まれて赤穂藩士堀部弥兵衛の婿養子となった。その後数年を経て、浅野内匠頭、吉良上野介殿中刃傷事件が起り、内匠頭切腹、御家断絶。大石内蔵助を盟主とする赤穂四十七義士とともに吉良邸に討入り、本懐を遂げる。

開花状況:満開
37/57/7,139/19/42

新潟県新発田市大手町6丁目【にいがたけん しばたし おおてまち 6ちょうめ】

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旧二の丸隅櫓
堀部安兵衛 像

しばたじょう

新発田城